『星野学園の心温まるちょっといい話』 学校創設者星野りち先生と卒業生の想い

~卒業生が発起人、恩師の58年間の教育生活と「喜の字の祝ひ」を記念し、

                                               私立星野裁縫女學校を移転、新築へ~

 

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「女子師弟愛美談」翠軒生 より

この婦人は、埼玉県川越市宮下町星野裁縫女学校長星野りちさん(本年78歳)であって、与の嗣子の妻の恩師であり、また豊岡保育園の園主たる義妹繁田くら子の恩師でもあった。

星野女史は、明治15年、女子高等師範學校を卒業の後、東洋英和女學校及び東京青山女學院等の教諭を勤め、躍進する明治中期の女子教育に専念されてゐたのであるが、当時、故郷川越の町に、小學校卒業以上の女子教育機関の無きをすこぶる遺憾とし、明治31年、川越の一角に星野塾を開設以来、43年間、同地方の女子教育に獨身を捧げて活躍、昭和8年には知事認可の私立女学校に昇格したが、星野女史は、他の公立女學校に気兼ねして、同塾をそのまま使用し、百余名の生徒を相手に、毎日毎日老いの身も忘れて、益々元気の活躍を続け昨年は目出度くも「喜の字の祝ひ」を迎えたのである。

 かうした、恩師の遠慮深い態度を見た同塾卒業生の有力者10余名は、自ら発企人となって、恩師の58年間の教育生活と、「喜の字の祝ひ」を記念する意味で、2年前会合を開いて新校舎新築を決議し、卒業生一千余名をもって金壱萬円を募集しつつあったが、最近に至って、予定の額に達したので、近く他に移転することとなってゐる、同市神明町県立盲唖學校跡を買収し、私立星野裁縫女學校を移転させることとなった。

明治維新以来、西洋文化の輸入とともに物質尊重、智育偏重の漸く顕著となり、日本古来の師弟愛の美風が将に地を、しかも學校騒動の頻發を伝へられる折柄、かくの如き女子教育界の一美談が世に存することは、将に空谷に跫音を聞くの感がするのである。敢て、ここに紹介する次第である。

 

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郷里・川越に星野塾を開いてから122年。現在の星野学園に通じる全人教育は、言い換えれば「リベラルアーツ」のこと。人にはそれぞれ能力が備わっている。それは学問とあわせて、体力、人格を高め、さまざまな教養を身につけることで発現する、という考え方。彼女の建学の精神は、時代が要求する多くの人材を育んでいます。

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